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放送事故(海外)

エレベーターにぎりぎり間に合わずブチ切れ、そのままドアに体当たりし転落死。

韓国の大田駅にあるエレベーターで起きた目を疑う事故の映像である。

電動スクーターに乗る39歳男性がエレベーターのドアが目の前で閉まってしまったことに腹を立て、数回に渡って体当たりを敢行。結果、ドアは壊れ、男性は10mの高さから転落しなくなってしまう。

自業自得とはいえショッキングな映像である。
なお、この事故は2010年度の愚かな行為により、自らの遺伝子を消滅させたとしてダーウィン賞を受賞している

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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放送事故(海外)

爆破解体の見物人たちが巻き込まれた、凄惨すぎる事故

2009年12月、グルジア政府が第二次大戦の記念碑「栄光のメモリアル」を爆破した際に起きた事故の映像である。
当時、日本のニュース記事でも伝えられていたようだが、正にその現場の映像と思われる。

爆破直後、大きな石が恐ろしいスピードで飛んでくる様子、さらに不運なことに子供の頭を直撃し粉砕。
その後、カメラが次々にパンしまさに悪夢のような光景が映る。
衝撃が強いので閲覧には十分ご注意いただきたい。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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放送事故(海外)

狂ったように踊って痙攣

それは2005年10月20日の試合においてサウジアラビア出身の選手が相手の選手と積極し転倒して起こった。

すると突然その選手は起き上がり、意識とは無関係に狂ったように後方に向けてピョンピョンと数回ジャンプ。

最後はのけぞりブリッジ状態に。
衝撃による脳の誤作動によるものではなく、持病の舞踏病(ぶとうびょう)によるもので命に別状は無かったらしいが初見では衝撃的な映像に違いない。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】
※突然の「死」とあるが実際は説明文の通りご存命です。

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放送事故(海外)

18人に見殺しにされた2歳児

ご覧いただく映像はとある事件を報道したニュース映像である。

その内容とは20011年100月に中国広東省仏山市で路上に出た少女が、とある路地でワゴン車に衝突されるというもの。

しかし、これは単なる事故映像ではない。
ワゴン車は一旦停止したのち、もう一度轢いて走り去ったのである。
さらにこの後、監視カメラがとらえた映像では、18人の通行人が瀕死の少女の脇を通り過ぎている。

残念なことにこの少女は、その後死亡。

この事件はメディアで世界中に報道され、中国社会の倫理観に対して怒りが殺到した。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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放送事故(海外)

首輪爆弾を取り付けられたピザ配達員

ペンシルバニア州のとある町の出来事でそれは起こった。

この地で30年真面目に働いていたピザの宅配員は、ピザの届け先の男に脅され首に爆弾を取り付けられ、さらに強盗を命じられた。

首輪型の爆弾は簡単には外れず、爆弾処理班が呼ばれたものの、到着する直前に爆発。この模様はテレビで生中継された。宅配員が最期に遺したこと言葉は「店長に連絡させてくれ」ということだった。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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放送事故(海外)

女性スタントマンのラストフライト

飛行中の複葉機の翼の上を命綱なしで歩くパフォーマンスで有名な別名ウィング・ウォーカーの異名を持つ女性スタントマン、ジェーンウィッカーの最期の映像である。

アクロバット飛行中の複葉機は羽に彼女を乗せたままバランスを崩しそのまま墜落。地面に衝突し炎上。パイロットとジェーンは即死。カメラは彼女の最期を克明に記録していた。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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放送事故(海外)

生中継された自殺現場

2012年9月ニュース専門局FOXニュースで起きた放送事故である。

カーチェイスを生中継したいたところ逃亡中の容疑者が車を降り、突然銃を自らのこめかみにあててそのまま発砲。

ヘリからの撮影は切り替わることなく、その後草むらに倒れるまでの瞬間を克明に中継。
映像が流れた瞬間キャスターのシェパード・スミスがGETOFF(映像を切れ)と絶叫することに。

全米にトラウマを残すこととなった。

それではご覧いただきましょう。

【閲覧注意】

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芸能界

売れないアイドルの黒歴史

file no1.山田優

SPEEDの妹分として99年に「Y’S FACTORY」が生まれた。
このダンスポップユニットは鳴かず飛ばずのまま、およそ3年で活動を休止。そのリーダーが山田優である。旦那の小栗旬も知らないであろう彼女の過去は、6枚のシングルと1枚のアルバムを出していた。
安室から続くスターを生み出した沖縄ガールズ伝説は、山田らが食い止める結果となった。歌手でとん挫したのちに「おはスタ」に出演しおはガールとして番組を盛り上げた。

file no2.仲間由紀恵

琉球歌手のなかには、今では日本を代表する女優の仲間入りを果たした人物がいる。「紅白歌合戦」の司会も務めた”ごくせん”や”トリック”でおなじみ仲間由紀恵である。
仲間は沖縄アクターズスクール出身者ではなく、沖縄タレントアカデミーの卒業生である。沖縄テレビの一般オーディションでグランプリを獲得し、96年に篠原涼子を擁する東京パフォーマンスドールに加入。卒業後の仲間は97年に小室哲哉率いる小室ファミリーの一員となり「MOONLIGHT to DAYBREAK」でソロデビュー。
ヒットが確約されている当時の小室ファミリーでは珍しく、不発作となる。

file no3.中谷美紀

「ひとつ屋根の下」で女優デビューし、多くのテレビドラマや映画に出演。映画「リング」や「電車男」、ドラマ「ケイゾク」といった代表作を持つ中谷美紀。
主演映画が軒並みヒット作となる中谷であるが、デビューのきっかけは桜っ子クラブ。
東恵子とKEY WEST CLUBを結成したデビュー曲「お誂え向きのDestiny」はオリコン最高57位という最悪のセールスであった。女優として開花した彼女もアイドルとしては悲しすぎる実績しか残せなかった。

file no4.吹石一恵

父親は元プロ野球選手、夫は俳優の福山雅治といえばこの人、吹石一恵。ひた隠しにしたい過去は歌手ということではないだろうか。
デビューから環境に恵まれていた彼女は97年に封切られた映画「ときめきメモリアル」で初作品にして主演を務める。その主題歌「セピアの夏のフォトグラフ」で歌手デビュー。
広瀬香美が手がけた歌で、広瀬もコーラスに参加するほどのバックアップ。しかし歌唱力に乏しくセカンドシングルは見送られた。

file no5.菊池桃子

80年代のアイドル全盛期にデビューし、現在は教育活動を中心に行っている。84年に映画「パンツの穴」で主演を射止めて、歌手としてもデビュー曲「青春のいじわる」が大ヒット。
その4年後ロックバンドに転身すると豪語し「ラ・ムー」を結成。尋常ではない歌唱力によりおよそ1年でとん挫。以降は女優業にシフトチェンジした。

file no6.飯島直子

アルバイト先でスカウトされ20歳で芸能界デビューすると瞬く間に人気となり芸能活動の幅を広げていった。
女優・タレント・バラエティーと多くの番組に出演し成功をおさめた彼女も黒歴史があった。
92年に女優・網浜直子とW-NAOを結成。B’zの曲をカバーする。浅野温子&浅野ゆう子がW浅野として人気を得ていたことから「W」を名乗ったが、全く売れなかった。

file no7.鈴木杏樹

「ミュージックフェア」の司会を20年以上も務め、一時期はCM14本に出演し「CM女王」の異名を持った鈴木杏樹は、一風変わった経歴の持ち主である。なんと日本より先にイギリスでデビューしていたのである。現地ではKAKKOのネームで日本人ダンサーとして活動しており、外国人ダンサーとのコラボも多数経験。湾岸戦争を境に帰国。日本で女優となった。

file no8.押切もえ

「CanCam」というお姉さん系雑誌でカリスマモデルとして活躍し、タレント、小説家としても多彩な才能を発揮する押切もえ。デビューはギャル雑誌「egg」でガン黒ギャル系でデビュー。高校2年生だった97年コギャルがスタジオトークをかわす番組に、セーラー服を着て出演。
ギャル語もろ出しでひな壇で目立とうとする姿からは、日本を代表するプロ野球選手の妻になるとは誰が想像できたであろうか。

file no9.上戸彩

「3年B組金八先生」でブレイクし、歌手・声優・モデル・タレント・キャスターとして幅広く活躍する上戸彩。
しかし、そのデビューは平坦なものではなく、誰も知らないアイドルグループとして活動していた。「Z-1」の一員だった過去は消したい話。シングル5枚をリリースするが全く売れずに解散した。

file no10.安めぐみ

ドラマにバラエティに癒しの女王として活躍する安めぐみ。深夜バラエティ「トゥナイト」でリポーターを務めていた。乱一世とのセクハラまがいのレポートで一躍人気となったが本人は黒歴史であろう。