売れないアイドルの黒歴史

file no1.山田優

SPEEDの妹分として99年に「Y’S FACTORY」が生まれた。
このダンスポップユニットは鳴かず飛ばずのまま、およそ3年で活動を休止。そのリーダーが山田優である。旦那の小栗旬も知らないであろう彼女の過去は、6枚のシングルと1枚のアルバムを出していた。
安室から続くスターを生み出した沖縄ガールズ伝説は、山田らが食い止める結果となった。歌手でとん挫したのちに「おはスタ」に出演しおはガールとして番組を盛り上げた。

file no2.仲間由紀恵

琉球歌手のなかには、今では日本を代表する女優の仲間入りを果たした人物がいる。「紅白歌合戦」の司会も務めた”ごくせん”や”トリック”でおなじみ仲間由紀恵である。
仲間は沖縄アクターズスクール出身者ではなく、沖縄タレントアカデミーの卒業生である。沖縄テレビの一般オーディションでグランプリを獲得し、96年に篠原涼子を擁する東京パフォーマンスドールに加入。卒業後の仲間は97年に小室哲哉率いる小室ファミリーの一員となり「MOONLIGHT to DAYBREAK」でソロデビュー。
ヒットが確約されている当時の小室ファミリーでは珍しく、不発作となる。

file no3.中谷美紀

「ひとつ屋根の下」で女優デビューし、多くのテレビドラマや映画に出演。映画「リング」や「電車男」、ドラマ「ケイゾク」といった代表作を持つ中谷美紀。
主演映画が軒並みヒット作となる中谷であるが、デビューのきっかけは桜っ子クラブ。
東恵子とKEY WEST CLUBを結成したデビュー曲「お誂え向きのDestiny」はオリコン最高57位という最悪のセールスであった。女優として開花した彼女もアイドルとしては悲しすぎる実績しか残せなかった。

file no4.吹石一恵

父親は元プロ野球選手、夫は俳優の福山雅治といえばこの人、吹石一恵。ひた隠しにしたい過去は歌手ということではないだろうか。
デビューから環境に恵まれていた彼女は97年に封切られた映画「ときめきメモリアル」で初作品にして主演を務める。その主題歌「セピアの夏のフォトグラフ」で歌手デビュー。
広瀬香美が手がけた歌で、広瀬もコーラスに参加するほどのバックアップ。しかし歌唱力に乏しくセカンドシングルは見送られた。

file no5.菊池桃子

80年代のアイドル全盛期にデビューし、現在は教育活動を中心に行っている。84年に映画「パンツの穴」で主演を射止めて、歌手としてもデビュー曲「青春のいじわる」が大ヒット。
その4年後ロックバンドに転身すると豪語し「ラ・ムー」を結成。尋常ではない歌唱力によりおよそ1年でとん挫。以降は女優業にシフトチェンジした。

file no6.飯島直子

アルバイト先でスカウトされ20歳で芸能界デビューすると瞬く間に人気となり芸能活動の幅を広げていった。
女優・タレント・バラエティーと多くの番組に出演し成功をおさめた彼女も黒歴史があった。
92年に女優・網浜直子とW-NAOを結成。B’zの曲をカバーする。浅野温子&浅野ゆう子がW浅野として人気を得ていたことから「W」を名乗ったが、全く売れなかった。

file no7.鈴木杏樹

「ミュージックフェア」の司会を20年以上も務め、一時期はCM14本に出演し「CM女王」の異名を持った鈴木杏樹は、一風変わった経歴の持ち主である。なんと日本より先にイギリスでデビューしていたのである。現地ではKAKKOのネームで日本人ダンサーとして活動しており、外国人ダンサーとのコラボも多数経験。湾岸戦争を境に帰国。日本で女優となった。

file no8.押切もえ

「CanCam」というお姉さん系雑誌でカリスマモデルとして活躍し、タレント、小説家としても多彩な才能を発揮する押切もえ。デビューはギャル雑誌「egg」でガン黒ギャル系でデビュー。高校2年生だった97年コギャルがスタジオトークをかわす番組に、セーラー服を着て出演。
ギャル語もろ出しでひな壇で目立とうとする姿からは、日本を代表するプロ野球選手の妻になるとは誰が想像できたであろうか。

file no9.上戸彩

「3年B組金八先生」でブレイクし、歌手・声優・モデル・タレント・キャスターとして幅広く活躍する上戸彩。
しかし、そのデビューは平坦なものではなく、誰も知らないアイドルグループとして活動していた。「Z-1」の一員だった過去は消したい話。シングル5枚をリリースするが全く売れずに解散した。

file no10.安めぐみ

ドラマにバラエティに癒しの女王として活躍する安めぐみ。深夜バラエティ「トゥナイト」でリポーターを務めていた。乱一世とのセクハラまがいのレポートで一躍人気となったが本人は黒歴史であろう。

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