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テレビ放送事故

三原山の噴火口に現れた謎の人影

昭和61年におきた、大島三原山の大噴火。歴史に残る有名な事件だが、その一部始終をとらえた観測所のカメラに、なんとも不可解な映像が記録されていた。

噴火の真っ最中、溶岩が吹き上がる中で火口付近まで近づき、ゆうゆうと辺りを散歩する人影が映りこんでいたのである。
映像が放映された後、テレビ局には問い合わせの電話が殺到。
検証作業を行うニュース番組あったが、結局、その正体はわからないまま。今も謎を残すトラウマ映像である。

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テレビ放送事故

豊田商事会長刺殺事件

1980年代における最強のトラウマ放送といえば、豊田商事事件において他にない。1985年6月、悪徳商法で大量の被害者を出していた豊田商事の社長宅に、「今日逮捕」との情報を聞きつけた多くのマスコミ取材班が集まっていた。
と、そこへ被害者の元上司に当たる自称右翼の男2人がくわえタバコで出現。マスコミに対して「被害者から永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと、ふてぶてしく語った。
驚くマスコミをよそに、2人は窓ガラスを破って社長へ侵入。怒鳴り声が聞こえ、白いカーテンに鮮血が飛び散った。

被害者は13箇所を刺されて即死。犯人は窓からはい出してくるや、「警察を呼べ」と言い放った。
事件の一部始終は各テレビ局で生放送され、NHKのアナウンサーは「子どもには見せないでください」とあわてて呼びかける事態に。のちにマスコミが犯人の行動をとめなかったことが問題視された。
リアルタイムの殺人劇がお茶の間に流れた最悪のトラウマ映像である。

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テレビ放送事故

浅沼委員長暗殺事件

1960年10月、東京都千代田区の日比谷公会堂で、演説中だった社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年に暗殺される事件が起きた。

その日、浅沼は午後3時ごろ演壇に立ち「議会主義の擁護」を訴える演説をスタート。その5分後、若い男が壇上に上がり、刃渡り33センチの銃剣で浅沼の胸を2度突き刺した。浅沼は出血多量によりほぼ即死状態で、病院に収容されたときには、すでに事切れていた。
事件はNHK総合が録画放送を予定したため、一部始終が克明に記録されており、初めて殺人の瞬間がニュースで流れることになった。
60年代における超定番のトラウマ映像である。

閲覧注意

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テレビ放送事故

迷子のインコが話した奇妙すぎる内容

2012年の「探偵!ナイトスクープ」で、奇妙な内容が放送された。
迷子になったインコの飼い主を探すという内容で、調査が進むうちに、インコが次のようなセリフを語りだしたのである。

「ピーちゃんごめんね。ここは異世界かも。内職したら急に誰もいなくった。
ピーちゃんだけでも逃げて。電話も繋がらない。私は出て行きます」

結局、インコの素性は不明のまま調査は終了。インコが語った言葉の意味は、いまもわからないままである。

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テレビ放送事故

村井秀夫刺殺事件

1995年4月、オウム真理教の東京総本部ビル前において、上九一色村のサティアンから戻ってきた教団幹部の村井秀夫が、暴力団の組員を自称する男に左腕と右わき腹を続けざまに刺される事件が起きた。
村井は腹の刺し傷が致命傷となり、出血多量で翌日に死亡。

当時の教団の本部には、24時間態勢で報道関係者や警察がはりついており、殺害の瞬間の様子はカメラに記録された。
その後、テレビのニュース番組やワイドショーが生々しい刺殺シーンを無修正で繰り返し放映したため、批判が殺到。やがて各局は報道を自粛した。
これほど殺人事件の一部始終が克明に記録されたケースは珍しく、多くの視聴者に衝撃を与えた。

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放送事故(海外)

カースタントで首を切断したスタントマン

1987年、オランダのサーキットで前代未聞のカースタントが行われた。
スタントマンは、40歳のアラン・バンクス。ヨーロッパの映画界では、かなりなの知れた人物で、アランドロンなどの大物俳優のスタントを一手に引き受け、「影の大スター」と呼ばれたプロ中のプロである。
スタントの内容は、縦に並ぶ3台のバスに車で飛び込み、そのまま突き抜けるというもの。

いままで成功者が一人もいない、難易度の高いイベントだった。
しかし、事件は起きた。スタントを成功すべく、普段よりも高速でバスに突っ込むと、バンクスを乗せた車はそのままバスを突き抜けて外へ。
大成功かと思われたが…

車はフロントガラスからキレイに失われ、バンクスの首ごと消えていたのである。

ジャンプした車体が天井のフレームによって削り取られてしまった。
悲劇の事故は日本でも何度かお茶の間に放映され、80年代を代表するトラウマ映像の一つとなった。

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アニメ

昔の「トムとジェリー」は本気で殺し合いをしていた

1940年に放送が始まり、世界的なヒットになったアニメ「トムとジェリー」。乱暴な猫のトムと賢いねずみのジェリーが繰り広げるドタバタコメディーで、いまだに新作が公開され続けている人気作である。

仲良しのケンカが続くユーモラスな印象が強い作品であるが、初期の頃の「トムとジェリー」は大きく違う。
代表的なのが、1943年に制作の「勝利は我に」である。トムとジェリーがガチの戦争を繰り広げるエピソードで、いつものドタバタ演出とは異なり、本物のダイナマイトや銃声が飛び交ったあげく、最後にはトムが爆殺されて終わる問題作である。

そもそも、当初は社会的風刺の要素が強く、第二次世界大戦を模したもの。しかし、1960年代のごろから暴力シーンへの規制が厳しさを増し、アクションシーンの大半が編集で削られてしまう事態に。やがて現在のような、無害なコメディー路線に変わっていったというわけである。

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アニメ

3匹の子ぶたの父親は死んでソーセージにされた

ディズニーアニメ「3匹の子ぶた」は、1933年に制作され、アカデミー短編賞を受賞した名作である。怖いオオカミに対抗すべく、3匹の子ぶたがそれぞれの家を建てる楽しいおとぎ話であるが、そのワンシーンに、ちょっとドキッとする描写がある。

物語の後半、レンガ造りの家に逃げ込み、無事にオオカミの魔の手から逃れた子ぶたたちが、喜んで歌う場面。ここで注目してもらいたい。背景に飾られた額縁の絵である。

本作のもとになったおとぎ話には、父親のエピソードは登場しないため、このシーンは制作スタッフの軽いジョークであると思われる。
こんなコミカルな作品に、なにげに恐ろしいブラックジョークを放り込まれていたとは…。